我が子は可愛い。そして我が子は愛しい。
子どもの成長する姿はわたしたち親にとって時には癒しを、時には生き甲斐をくれますね。
でもそれだけでは済まないのが子育て。
いったいこの「大変さ」はいつまで続くのでしょうか?!
親ならば誰しもが思ったことのあるこの悩みを少しでも解決出来るよう、成長期やシーン別に一緒に考えてみたいと思います!
子育て四訓のアドバイス
自分の出産育児経験しまして数年、、。
出産、育児を経験しながらわたしはずっと子どもと関わってきました。
そんなわたしが保育や子育てをするうえでとても大切にしている有名な言葉があります。
それがこの目次にも挙げている「子育て四訓」です。
・乳児はしっかり、肌を離すな
・幼児は肌を離せ、手を離すな
・少年は手を離せ、目を離すな
・青年は目を離せ、心を離すな
山口県の教育者、緒方甫さんの言葉です。
この言葉はとても深く、子育てのその時々に必要になる指標を表しています。
わたしたちは、子どもを授かってそこから初めて親という人生が始まります。
夫婦は「わたし」と「あなた」で構成されそれぞれに生きていたのに、、
突然ふたりでひとつの「親」というカテゴリーに分類されるのです。
妊娠・出産経験するすべてが初めて、そんな中でこの「子育て四訓」は新米な親たちへの分かりやすいアドバイスをしてくれています。
困った時、悩んだ時、この「子育て四訓」に立ち返るようにしていました。
子どもにとっていま必要なこと、不要なことをきちんと整理するためです。
今回はそんな「子育て四訓」になぞらえて年齢別、シーン別に見ていきましょう!
肌を離すなの乳児期
生まれたときにはただただ可愛かった我が子。
でも大きくなるにつれ悩みは増える一方。
いえ、もっと言ってしまえば、「生まれてきてくれてありがとう!」
そんな感動的な初対面の日からわたしたちは悩みがつきない、そんな日々が始まります。
子どもが大きくなったいまから思い返せば乳児期はただ飲んで泣いて寝ておむつを換えての繰り返し。
文句も言わず、可愛くないことも言わない、あやせば笑う、なんという癒し!
癒し以外の何者でもなかったはずの乳児期も、あの頃は必死で癒しなんてどこへやらでした。
特に一人目のときなんて心配のしすぎでノイローゼになるかと思ったほど!
泣けばなんとか泣き止ませねば!といきりだち、おむつか?!濡れてない!おっぱいはいま飲んだよね?!あ~じゃあ何よ?!!!とひとりで頭を悩ませる。
泣き止まない娘と何時間も二人きりでそれはもうこっちが泣きたくなるほどでした。
ミルクを◯ミリリットルしか飲まなかったけど大丈夫なのか飲めば飲むでげっぷをしないことに悩むなんという一人相撲(いや、実際はふたりだけど)!!
話は思いきり逸れましたが、いまから考えれば赤ちゃんに絶対的に大切なことはひとつだけ。
それは肌と肌を合わせてあげること、それ以外にはなかったんです。
げっぷも大事、おむつを換えるのも大事。
でも何よりも大切なのは、まだ言葉の伝わらない赤ちゃんに、肌を合わせることで伝える愛情なんですね。
手を離すなの幼児期
そこから1年もすれば今度は乳児は動き出します。
歩かなければ歩かないで、「うちの子はいつ歩くのか、まさか歩けない子なんじゃ?!」
歩けば歩くで机の角を気にしたり、危険が付きまとうので心配になる。
「あぁ、ただ寝転がってくれてた頃は良かったなぁ」なんて。
たった一か月前と一か月後で大きく悩みが変わるのもこの時期。
出来ることが大幅に増えるからなんです。
この時期から大変さには体力的なものが加わってきます。
抱っこしていれば良かった頃とは違い、自分の意思で動くようになるため、座っていれば転んでも大丈夫なようにクッションを置き、ずりばいを始めれば掃除に気を使い、歩けば追いかけまわすことになる。
何回も階段の往復をせがまれ、しかも中腰、体重も重くなり、抱っこも軽々とはいきません。
言葉が出てくるのもこの頃。
そのため、他のお友達と成長のスピードを比べては、遅い早いと一喜一憂。
大変さと心配の種類は月齢、年齢と共に変化していくのです。
この時期はとにかく目が離せません。
気づくと走っている車に突進していたり、スーパーで迷子になったり…たった一度の気のゆるみが命に繋がりかねないからです。
そのため、後悔しないためにも手を離さないことが一番必要な時期になります。
目を離すなの思春期
小学校中学年にもなってくると、そろそろ必要になってくるのが「THE親離れ・子離れ」
時には必要なときもまだあるかもしれませんが、小学校・中学校とどんどん親の目の届かない場所へと旅立つ子どもたち。
あっちは危ないからママといなさい!
痛かったね~よしよしいいこいいこ!
こんなフォローが出来るのも幼稚園まで。
子どもが自分自身で自分のコミュニティをつくり、生活していかなければならない中でいつまでも手を引き続けるわけにもいきません。
あえて手を離して、自分の世界で失敗させるのも大事な経験になります。
でもそこで目まで離すにはまだ早い!
それがこの思春期になります。
子どもが親の目がうっとおしく感じるのも思春期に特徴ですが、だからといってそこで親が目を離してしまっては後々大変なことになります。
この時期は思春期故のメンタル的な大変さが多いでしょう。
友人関係だったり、家族との関係だったり、勉強面かもしれません。
「うるさいな!」子どもも自分なりの考えがを持ち始めます。
「放っておいてよ」どこまで自分で出来るのか、自分の力を試してみたくなる時期です。
人生の取り返しがつかないものでなければ、失敗しても良いのです。
その失敗をいつでもフォローしてあげられるように、親は手を出したいのをぐっと我慢し、いつでもじっと見守っていてあげなくてはいけません。
わたしも子どもが小5のときに、反抗期と思春期が重なり、泣いてわめいての喧嘩が日常になりかけたこともありました。
でも、もっと年の上のお子さんがいるママ共に相談したら、いま長女ちゃんは大人への階段を上り始めたばかりなんだよ、と。
トイトレを始めたばかりの我が子も、すぐにはうまくいかないよね、時間をかけて見守ることって大事だよ、と。
それからじっと見守り、長女が階段を踏み外したらすっと手を差し伸べてあげる、そんな距離感を保つようにし長女とも関係性がぐっと良くなり、困れば相談してくれるようになりました。
そうか、「目を離さない」=「見守る」ことなんだ!と知りました。
手や口を出さないのも親にとってはなかなかもどかしくて大変ではあるのですが…
それでも、一人前の大人になるため、親にとっても最後の試練のとき、頑張りどきなのでしょう。
心を離すなの青年期
わたしはまだまだこれからですが、既に社会へと旅立っていったママ友のお兄ちゃんたちや、自分のことを振り返ってみると、この「心を離すな」は分かるような気がしませんか?
でもこの時期になると、悩みも大半は自分自身で解決出来るようになり、親に頼ることも少なくなってきます。
そのため、見えない不安や心配の大変さがあるのがこの青年期ならではなのではないでしょうか。
遠くで元気なのかどうかさえ頻繁には確認出来なくなったり、同じ家に住んでいてもゆっくり話をする時間もとれない、一緒に夕食をとることさえままならない、そんな関係性の変化についていかれないのは、親の方なのかもしれませんね。
でも手を離れ社会の一員としてがんばる姿は、すぐ傍で毎日見れなくても、伝わってくるものです。
それはいままでの育児で大変なことを一緒に乗り越えてきた時間がくれる自信のようなものです。
心を離さない、それは相手を大切に想うことです。
まとめ
わたしたち親と、子どもの関係性はいくつになっても変わるものではありません。
子どもが例えわたしと同じように親になったとしても、子どもはわたしの子どもなのです。
子育てとは、子どもの健やかな成長を願い続けること、心配して、安心しての繰り返し。
結局、子育てはわたしの人生が終わるときまで続くのでしょう。
子育てが大変なのはずっと続きます。
でも、大変の種類はどんどんと変化し、そのたびにわたしたち親を成長させてくれ、また思い返したとき、人生を豊かに彩ってくれるものであります。
子育てを大変と感じることは、貴方が我が子を愛して育てている証です。
これからも愛おしい「大変さ」と一緒に、子育て頑張っていきましょう!